創業90周年を記念して、私たち東急百貨店や、私たちの誕生の地である“渋谷”にゆかりのある方々から、「思い出」や「未来への期待」のメッセージを頂戴しました。
一人ひとりの想いが詰まったメッセージを通じて、ご自身の渋谷や、東急百貨店の思い出を振り返る、今まで知らなかった魅力に気づく、きっかけにしたいという想いを込めた企画です。
みなさまに、もっと、東急百貨店を知って、好きになっていただけますように。
“渋谷”や“東急百貨店”にゆかりのある著名人からのメッセージ
私たち東急百貨店や、私たちの誕生の地である“渋谷”にゆかりのある方々から、以下のテーマに沿ってメッセージを頂戴しました。 テーマ①:「渋谷や東急百貨店の思い出」 テーマ②:「未来の渋谷や東急百貨店に期待すること」
「X(旧ツイッター)」から抜粋した、
投稿(ポスト)を掲載
日頃から、私たち東急百貨店や、渋谷をご利用されている、皆さまからのメッセージも募集いたしております。
以下の応募条件に沿って、ご投稿いただいた方の中から抽選で、素敵なプレゼントを差し上げます。
ぜひ、皆さまの“渋谷”や“東急百貨店”に関する想いをお聞かせください。
なお、ご投稿いただいた内容は、本サイトでもご紹介させていただきます。
(全ての投稿が掲載される訳ではございません。)
私の中で東急百貨店の想い出は沢山ありますが、一番は渋谷ヒカリエシンクスの思い出で8/のスペースで日本の郷土料理を見たり野口光さんのダーニングの本を読んで次の日にダーニングに使う糸を買いに行った手芸や創作の後押しをしてくれた思い出があります
— 林カコ (@kakoyamada1) November 6, 2024
#90周年メッセージ#東急百貨店 pic.twitter.com/BW9oab7UOV
私の渋谷の1番の思い出は、何といっても「#のるるん10周年 おめでとう推し広告」を世界中の #のる友&鉄道ファンの皆様と力を合わせて、渋谷駅に掲出できたこと電鉄、エージェンシー等、東急Gの沢山の皆様にも助けていただきました 本当に有難うございました#90周年メッセージ#東急百貨店 pic.twitter.com/O6EzigDYi0
— Skb (@lightsunshine11) November 7, 2024
今から7年ほど前に、ヒカリエから撮った東横店のマーク(ピンボケご容赦)。東急百貨店の中では、母方の祖母も母も、そして自分も、一番行ってたのは東横店なので、建物がなくなると知った時は寂しかったな。@TOKYU_DEPT_ht #90周年メッセージ #東急百貨店 pic.twitter.com/ENf6UPCNAB
— A.Saka (@396neko) October 31, 2024
お疲れさまの帰り道、友達へのプレゼントを選んだり、夫に秘密のおやつを買ったり。楽しいお買い物は、明日への活力だ。
— 相良 梨月 (@AiraRitsuki) November 2, 2024
#東急百貨店 #90周年メッセージ pic.twitter.com/vFwzGRFdFK
応募会期
10月23日(水) ~11月30日(土)
応募条件
「X(旧ツイッター)」にて、以下①~③の内容で投稿(ポスト)して下さい。
①メッセージのテーマ ※いずれか1つに関する内容で構いません。
「渋谷や、東急百貨店の思い出」
「渋谷や東急百貨店のお気に入りスポット」
②画像
渋谷もしくは東急百貨店に関する、思い出やお気に入りスポットの画像を付けて投稿してください。
③ハッシュタグ 次のハッシュタグを付けて投稿してください。
プレゼント内容
90周年特別アート企画「PIECE OF SHIBUYA CUTY -LOVE90 NEXT100-」で制作した、アーティスト「SHETAさん」のミニキャンバスアート 20名様
創業90周年特別企画 「渋谷と東急百貨店 “過去”と“未来”をつなぐメッセージ」
X(旧Twitter)ハッシュタグキャンペーン応募規約
株式会社東急百貨店(以下、弊社といいます)が主催する「渋谷と東急百貨店 “過去”と“未来”をつなぐメッセージ」(以下、本キャンペーンといいます)にご応募いただく前に、本規約をよくお読みいただき、同意の上、ご応募ください。 本キャンペーンにご応募された場合、本規約にご同意いただいたものとみなします。 万一、本規約にご同意いただけない場合には、本キャンペーンへの応募はご遠慮ください。
株式会社東急百貨店プライバシーポリシー株式会社 東急百貨店
90年間、大切に紡いできたお客さまとの絆が
これからも繋がり続けますように。
そんな東急百貨店の想いを、願いごとが叶うという意味が込められた
水引の「叶結び」をモチーフに表現しました。
俳優
石田ひかり
東急本店さんには中学からの同級生が閉店まで勤めていたり、一時期、近くに住んでいた事もあり、何から何までお世話になりました。マネージャーさんに差し入れや食事を買いに行ってもらったり、子供が生まれてからはファミリアやおもちゃ売り場へ本当によく行きました。お蕎麦屋さんは一人でも入りやすく、立田野さんでは落ち着いて台本を読むことが出来ました。長女の大学入学時には、婦人靴売り場で初めてのパンプスを。シアターコクーンにもオーチャードホールにも立たせていただきました。店員さんはみな親切で、駐車場の方にもいつも声をかけていただき、想い出は尽きません。閉店の日は大勢の人たちの中で、向かいの道から見守っていました。ニュースで見てきた光景が目の前にあり、本当に寂しかったですね。工事中の今も寂しさを感じてしまいますが、数年後には、どんな姿をわたしたちに見せてくれるのでしょうか。新たな渋谷のランドマークの完成を心待ちにしています。
俳優・タレント
井上順
東急東横店の屋上の遊戯施設が物心ついた私にとって極上のお伽の国でした。その後東急本店も誕生し、渋谷に楽しい文化の息吹きを与え、きっと大勢の方達が潤い溢れる日々を過ごした事と思います。これからも未来に向かって進んで行く東急グループ。渋谷の住人として誇らしく思います。ありが東急。ははは。
イラストレーター・グラフィックデザイナー
宇野亞喜良
私にとって渋谷は、懐かしい街です。
東京で仕事を始めたカルピス食品工業時代、職場が恵比寿だったため渋谷はよく利用していました。
東横線の終点渋谷駅から街へ向かう大きな階段を通り、東急文化会館を利用したり、東横劇場で落語鑑賞を楽しんだ思い出もあります。
東急百貨店との関わりは古く、東横百貨店宣伝部に友人がいたため事務所のあった宮益坂ビルディングへは何度も足を運びました。
2000年以降も、渋谷のシアターコクーンで行われている渋谷・コクーン歌舞伎に2005年『桜姫』から、2011年『盟三五大切』まで関わりました。また2019年には『唐版 風の又三郎』で美術・衣装も担当しました。
―1987年渋谷の東急百貨店で宇野は個展を開催した。その個展について次の言葉を残している。
展覧会はそれ以前にはやってないから、見物人の顔色を見るっていうのは初めてですよね。それがすごくおもしろかった。(中略)でも、生ものでっていうか、展覧会という別のある感覚の領域を感じたのは、この個展からですよね。
ガーディアン・ガーデン, 『タイムトンネルシリーズ Vol.17 宇野亞喜良展「われに五月を」』, リクルート, 2003年, p.38.
渋谷区商店会連合会
渋谷区商店街振興組合連合会
会長
大西賢治
”東急百貨店”と言えば、亡き母を思い出します。いつも出掛ける先は本店でした。お昼過ぎに出掛けると夜まで帰ってきません。気の向くまま売り場を巡り、立田野のあんみつで一休み。その後、食器や画廊を眺めてから、天一で天ぷら御前を頂くのが好きでした。それに付き合わされていた妻が閉店まで、そのルーティンを引き継いでおります。百貨店として業態がなくなるのは寂しくなりますが、渋谷らしいものが出来る事を期待しています。
漫画家
かっぴー
15年前、私は新卒のデザイナーとして渋谷で働き、東急百貨店のデザインを担当していました。洋服から食まで、様々なカテゴリーのリーフレット等の制作を通じ、上質な世界を勉強させて頂きました。はじめて高いお洋服を買わせて頂いたのも東急百貨店。あの時の高揚は忘れ難い思い出です。
世の中の多くの街や商業施設が均一化している中で、東急ならではの街づくりを期待しています。これからも文化と流行の発信地としてあり続けて欲しいです!90周年おめでとうございます。
一般財団法人渋谷区観光協会
代表理事
金山淳吾
渋谷はいつも僕を刺激してくれる街。
なぜか楽器やCDや洋服は渋谷で買いたかったし、今では仕事の拠点であり、友人と交流する僕のホーム。そして、渋谷でアートといえば東急本店美術ギャラリー。ピカソのラフスケッチが売っていた時には感動しました!買えなかったけど。。。
今後も、文化を育み、文化を”売る”、渋谷、東急百貨店であり続けてもらいたいです
渋谷・東地区まちづくり協議会 代表幹事
小林幹育
私が生まれた昭和15年には、東館は既に目の前にありました。
記憶の中にでてくるのは、4歳のころ1人でノートと色鉛筆を買いに行きました。戦時中でありましたから、屋上に8連のサイレンがあり、空襲警報が発令されるとこれが鳴ります。ある晩桜上水の従兄弟の家に泊りに行った時に聞こえました。また、空襲を避けるため白い素敵な建物が、真っ黒に塗られてしまいました。戦後百貨店が再開され東館の地下は、食料品売り場がありそこで丸い缶詰を包装紙に襞を作りながら、包んでいる店員さんに感心しました。屋上の遊具の一つにケーブルカーに乗った記憶。子供しか乗れませんでしたが、2年間だけの運行でした。未来の渋谷に観光用としてスクランブル交差点を、俯瞰出来るケーブルカーを造りたいものです。
ミュージシャン・タレント
小宮山雄飛
原宿生まれの僕は、東急百貨店にはそれこそ子供の頃から通ってまして。
期間限定でしたが東急プラザ渋谷のお店「もしも食堂」をプロデュースされてもらったのも良い思い出。
これからも渋谷の街を、我々住民も一緒になって盛り上げて行きましょー!
ファッションデザイナー
渋谷ザニー
「渋谷で雑誌モデルをしていた大学生の頃、放課後から直行した撮影スタジオで撮影したビジュアルが渋谷の街を飾ったのは2007年4月の109MEN’Sの開業1周年の巨大ビルボードでした。22歳の思い出として鮮烈に記憶に残っています。」
「ファッションデザイナーの立場として東急百貨店のある渋谷の街がもっとロングドレスとタクシードが似合うラグジュアリーな未来都市へと進化を遂げて欲しいと心から希望しています。」
演出家
テリー伊藤
渋谷はいつでも青春の街
デートの始まりはいつも渋谷だった
すれ違わないようにお決まりのハチ公前で待ち合わせ
東急文化会館に五島プラネタリウムがあった頃
彼女の手が触れるドキドキ中
2人で夜空を見上げていた思い出が蘇る
今でも駅に降り立つと淡い風が通り過ぎる
時代は移っても渋谷はいつも青春の街
歌手
野宮真貴
東急百貨店本店の思い出は尽きる事がない。
お化粧室にあるサローネンのチューリップチェア。パーソナルカラー診断で選んでもらった口紅。お買い物後の「いそ勢」のお寿司。「永坂更科」の年越しそば。拙著を見つけ歓喜したジュンク堂。渋谷のラジオで生中継した昭和なビアガーデン…。
瞬きのスピードで変わりゆく渋谷をずっと見守ってくれてありがとう。生まれ変わったらまた新しい思い出を作りに行こう。
渋谷区長
長谷部健
東急百貨店創業90周年おめでとうございます。
渋谷で生まれ育った私は、デパートと言えば東急百貨店で、買い物など日常生活に根付いていました。
区内では、百貨店の建替えも含め再開発が進んでいますが、東急百貨店がこれからも区民の生活を支え、さらなる文化発信の拠点となることを期待しています。
写真家
ハービー・山口
「子供の頃から私にとっての身近な都会は渋谷でした。予備校時代も昼食は渋谷の定食屋さんでした。1980年代にイギリス人の友人が「渋谷は世界の中心だ」と興奮していました。渋谷は常に若者をリードし、大人はBunkamuraに刺激を受けてきました。渋谷の元気は日本の元気です。今後も東急百貨店が世界をリードする場であって欲しいと願っています。」
歌手
平原綾香
レコーディングは東急本店のお隣の「Bunkamuraスタジオ」。
東急本店の「タントタント」でトマトスパゲッティをいただきながら休憩して、レコーディングの緊張感が和らいだのを覚えてます。コンサートツアーは毎年「オーチャードホール」と、思い返せば、渋谷の街は私の音楽人生の一部となっていました。
音楽プロデューサー
松任谷正隆
子供の頃からずっと渋谷を見てきた。渋谷は東急とともにあった。東急文化会館前には広い駐車場があり、小学校の帰りにはクルマ好きの友達とカーウォッチをした。中学になると、その東急文化会館内でやっていた大人っぽい映画を観に、やっぱり友人達とドキドキしながらチケットを買った。ませたやつには既にガールフレンドがいて、東急文化会館とは反対側の東急プラザの3階にあった喫茶店でのデートに、なぜか付き合わされたりもした。そういう僕も高校になるとガールフレンドが出来、初めて迎える僕の誕生日にはセーターをもらった。薄緑をベースに細く横ストライプの入ったセーターだった。包み紙から出来たばかりの東急本店で購入したものであることが分かった。僕の半生で最も幸せを感じた瞬間だった。少し遅れてやってきた彼女の誕生日には、同じ東急本店でブラウンのセーターを買って贈った。セーター以外に気の利いたものはなかったのか、と今なら思う。でも有頂天になった僕には、それしか考えつかなかったのだ。あのグリーンのセーターはどこへ行ってしまったのだろうか。姿を変えていく渋谷の街とは反対に、僕の心の奥底にはそれがくっきりと浮かんで離れない。
川崎フロンターレ MF14
脇坂泰斗[わきざか・やすと]
東急百貨店さん、90周年おめでとうございます。
私も普段から家族でよく行かせていただき、子供の服を買ったり美味しいお惣菜を買ったりと、とてもお世話になっています。
これからも東急百貨店さんのさらなる発展を楽しみにしています。90周年、心からお祝い申し上げます。