SHORT STORY
シブヤ百色話 第3話『ウルトラ★アップマスカラ(前編)』

2024.05.25

東京・渋谷を舞台に繰り広げられる、不思議な物語たち。ちょっとした時間に気分転換できるような、オムニバス形式のショートショートをお届けします。

第3話 ウルトラ★アップマスカラ(前編)

「奥さんね、そんな話、信じろって言ったって無理ですよ。本当はなにがあったんですか?」

 警察官が不審そうな目を真理に向ける。
 実際に体験した真理だって信じられない話なので、無理もない。でも、それがいくら非現実的な話であろうと、真理は現実に起こったことをありのまま話すしかなかった。

「ですから、何度も言っているように、私の腕からビームが出て、代々木公園の木を切ってしまったんです」

 ゴールデン・ウィークの休日、真理と息子のタロウはピクニックをしに代々木公園まで向かっていたが、ちょっとの電車賃をけちったばかりに、2人は混雑する渋谷を潜り抜け、長い坂を上らなければならなかった。やっとの思いでケヤキ並木前にたどり着いたとき、開けた場所に出たからだろうか、タロウは溜まったフラストレーションを発散するがごとく腕を十字に組み、「ビーーーーーーム!!!!」と叫んだ。息子の大声に、周囲の人々が驚いて振り返る。

「いきなり、大きな声出すと、みんな、びっくりしちゃうよ~」

 もうそろそろ40代に入ろうとする真理の体には、たとえ緩やかであろうと坂がきつくなっていた。息も切れ切れにタロウに声をかけるが、母の注意なんてろくすっぽに聞かず、タロウは変わらずビームを撃ち続けている。

「ねぇ!ママもやってよ!いい?ボクの真似してね」

 4歳の息子は母と比べて元気があり余っているようで、疲弊しきった母にまとまわりついては、今保育園で流行している特撮ヒーローごっこを一緒にやるよう強要してくる。

「はいはい、やるよ」

 下手に断ると後が面倒だ。真理が横に並ぶと、タロウは何度も真理のほうを見ながら「いい?真似してね」と念を押した後、右手、左手と順に高々と宙に向かって伸ばし、肘を曲げて両腕を脇に引き寄せた。この一連の動きは、タロウがハマっている宇宙ヒーローの必殺技『コスモ・ビーム』を撃つときのポーズだ。最後、ビームを発射する際は、Cの形にした右手の上に、左手を載せて「コスモ・ビーーーーム」と叫ぶ。

「ほらぁ!ママもやって!!」

「はいはい」

 真理は羞恥心を捨てて、タロウの動きをなぞる。大の大人でも、青空の下で思いっきりヒーローごっこをするのは案外楽しいかもしれない。

「コスモ・ビーーーム!!!」

 その瞬間、真理の右手が眩い光を放ち、瞬時に光の線を紡ぐと遠くに見えるケヤキ並木の上部をあっという間に切り裂いてしまった。まるで鋭い日本刀で居合切りをするかのように。

「キャーーー」

 ケヤキ並木を歩く人々の叫び声や、何かが、おそらく切られた木の幹が地面に衝突したような鈍い音が聞こえてくる。音の元を確認できないのは、光線を放った直後に真理の視界がブラックアウトし、その場にしゃがみこんでしまったからだ。まるで800メートル走を全力で走り切ったような疲労が真理を襲う。

(これは何?)

 チカチカ星が瞬く視界に、何度も瞬きして焦点を合わせると、付近にいた人々がケヤキ並木へと駆け寄り、声をかけあっているようだ。

「ママ……?」

 タロウが鼻声で不安そうに真理の背中から抱きつく。真理はくらくらする頭を手で支え、もう一方の手でレンを抱き寄せながら、こう呟いた。

「ママ、コスモ・ビーム打っちゃった……」

 荒唐無稽な話だろう。ビームを出した張本人、真理だってそう感じる。しかし、それは実際に目の前で起こったことだった。そして今真理は、通報を受けて駆けつけた警察官に「自首」をして、交番で事情聴取を受けている。タロウはどうやら隣の部屋で別の警察官と戦いごっこをしているようだ。

「うーん……、消防隊員の話では、折れた木は雷が落ちたような断面をしているらしいんだよね。まぁ、見ての通り、快晴なんだけどね、よくある異常気象のひとつでしょう。あとは、周りの人に聞いてもね、確かに『何かが光った』と話す人は何人かいたんだけど、それも雷で説明がついてしまうんだよね。ようするに、奥さんの言う『ビーム』とは断定できない。まぁ幸い怪我人もなかったことだし、一応連絡先だけ控えさせてもらって、今日はもう帰ってもらっても大丈夫でしょう」

 真理は調書に名前と住所、連絡先などを書いて、深々と「ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」と頭を下げた。事情聴取をした警察官は終始困った表情をしており、何とも言えない顔で会釈した。

「ねぇ、ママ、つかまっちゃうの?」

 帰り道、タロウがいつも以上に真理の脚にまとわりつく。聴取中、隣の部屋から楽しげな声が聞こえていたが、タロウなりの気遣いだったようで実は不安だったのかもしれない。

「大丈夫、ママは逮捕されないよ。今日はごめんね、もう帰ろう。タロウの好きなハヤシライスをつくろうね」

「ハヤシライス!いぇ~~い、ぴろぴろ~」

「え~~!なにそれ!」

 タロウのおどけた表情に吹きだして、真理はやっと体の筋肉が緩まるのを感じた。そして深呼吸をし、オレンジ色と青色が混じった空を見上げると、遠くのほうに白い月が2つ浮かんでいるのが見えた。
 まさか、と思い、目をこすってもう一度見上げると月は元の1つに戻り、真理はなんと不可思議の一日に深い溜息をついた。



「突然、訪問して申し訳ございません。私、光国株式会社の研究員、篠田と申します。お忙しい中大変恐縮ですが、10分ほどお時間いただけないでしょうか」

 翌週、スーツ姿の中年男性と若い女性が玄関のインターフォンに映ったとき、恐怖した。第一、ここはマンションであり、玄関口はオートロックがかかっているし、この時代、訪問販売なんてほとんど聞かない。化粧品業界のトップを走る大企業の名前を語っているが、明らかに風貌が怪しい。

「あの、間に合ってますので……」

 真理がインターフォンを切ろうとすると、篠田という男は「代々木公園の件です」と一言付け加えた。

「え?」

 真理はしばし逡巡した後、チェーンをかけてからドアを10センチ程度開く。すると篠田と名乗る男が、隙間からドアチェーンをちらりと見た後、小声で再び真理に確認を取った。

「代々木公園のケヤキを切ったのは、東真理さんが放たれたビームで間違いありませんか?」

 中年の男性が真剣な顔つきで「ビーム」と言うので、真理は耐えきれずに吹きだしてしまった。篠田の眉間に皺が寄るのを見て、一言謝ってから、真理は「いいえ、違います」と否定してみた。代々木公園の珍事は各メディアで報道はされたものの、映像には真理やタロウの姿は映っていなかったから、否定すれば相手も諦めるだろうと思ったのだ。
 すると片方の女性が、スマホを取り出してSNSの画面を開いた。そこには「これ、本物?」とコメントのついた短い動画が流れており、真理がタロウと並んでヒーローポーズを取った直後、光に包まれている様子がばっちり映っていた。

「間違いないでしょうか」

「……はい」

 真理は観念してうなだれた。

「実は折り入ってご相談したいことがあります。もしよろしければ、玄関口で結構ですので、お話をさせていただけないでしょうか。……ご近所の目もあると思いますので」

 そのとき、同じフロアのどこかで玄関扉が閉まる音が聞こえたので、真理は慌ててチェーンを外し、2人を部屋に招き入れた。
 スーツ姿の2人は狭い玄関に散らばる靴を避けながら、名刺を真理に手渡した。そこには「光国株式会社 先端技術研究所 主任 篠田勇」と記載されていて、女性のほうは同じ部署で「研究員 白鳥真由美」とあった。

「改めて、突然の訪問にもかかわらず、大変恐縮です。私は篠田と申しまして、こちらは白鳥、同じ研究所の職員です」

 女性がぺこりと挨拶するので、真理も頭を下げた。

「早速ですが、東さんは弊社が製品開発、販売しております『KANATA』の『ウルトラ★アップマスカラ』をご存じでしょうか」

 聞き覚えのある商品名に、真理は表情を崩した。

「ええ、最近SNSでも話題になっていますよね。新商品のカール力とキープ力がスゴイって評判ですよね。マスカラ2本使って気分もアゲアゲ、まつ毛もアゲアゲ……でしたっけ?」

 真理がキャッチコピーを口にすると、白鳥が嬉しそうに何度も首肯した。
 『ウルトラ★アップマスカラ』は下地用マスカラとカラーマスカラがセットになった商品で、下地の上に専用のカラーマスカラを重ねると人形のような上向きカールが24時間キープされると評判で、今はどこの店舗でも売り切れ、欠品が続いていると聞く。

「そちらです。ありがとうございます。その製品についてですが……これから私が話すことは社外秘です。その点ご了承の上、お聴きいただけますと幸いです」

 篠田の念押しに、真理は戸惑いながらも頷いた。その様子を無表情で見つめてから、篠田は、なんとも信じがたい話を始めた。

「弊社製品『ウルトラ★アップマスカラ』のカールの持続力は、ヒトが生み出すエネルギーによって成しえています。マスカラでまつ毛のカールを持続させるためには、増粘剤や形状持続剤などを用いるのが一般的です。ただしこれらは一定時間経過、もしくは体温や気温によって溶け出してしまいます。そこで弊社では独自研究の末、まつ毛を上向きに引っ張り上げ、かつ人体に悪影響を及ぼさないという条件を加味したソリューションに、ヒトが生み出すエネルギー『ヒト・エネルギー』に着目しました」

(ヒトのエネルギー?マスカラ?ん?)

 真理の、まるでわかっていない表情を読み取ったのか、白鳥がフォローをする。

「まずヒト・エネルギーについてご説明しますね。ヒトは生命を維持させるために体内で有酸素性エネルギー代謝と無酸素性エネルギー代謝を行い、エネルギーを生み出すのをご存じですか。よくマラソンを有酸素運動、短距離走を無酸素運動の代表例に例えますよね。東さんが先日出されたビームは無酸素運動の究極形態であり、発射したビームは東さんが代謝で生み出したエネルギーだと思ってください。走ってエネルギーを消費する代わりに、ビームとして具現化したのです」

 白鳥の話す通り、確かにあの日、ビームを撃った直後に全速力で走り切ったような疲労感に襲われたのを、真理は思い出した。

「そしてヒト・エネルギーをマスカラに用いる方法ですが……。エネルギーというのはいわば電気信号なので、ヒト・エネルギーを利用するには通電させる媒介物が必要不可欠です。ファイバー状の媒介物、これは企業秘密の素材ですが、これが混ざったマスカラ液を塗布すると、まつ毛1本1本に張り付きます。これが下地用のマスカラです。そしてヒト・エネルギーを配合したカラーマスカラを上に重ねると、ファイバー状の媒介物に通電して、ファイバーが収縮してバネのようにまつ毛がカールするんです。ああ、マスカラ液にヒト・エネルギーを保持させる技術はもちろん企業秘密です」

 わかったような、わからないような説明に、真理の目は点になった。何度も瞬きして眉唾な話の続きを求めるが、それ以上の話は出てこないようだ。

「つまり、あの、それで、私は、なにを」

 真理の困惑を読み取って、篠田が再び口を開いた。

「今『ウルトラ★アップマスカラ』は欠品が続き、追加生産がかかっています。しかし、製品の原料であるヒト・エネルギーを過剰に生み出せる人材が不足してしまっているのです。窮地に陥ってたところ、代々木公園のニュースを拝見しました。まさに東さんが放ったビームは我々が求めていた原料であり、どうか東さんのエネルギーを製品生産に活かしたいのです」



>>後編につづく

教えてくれた人

豆ばやし杏梨

フリーのコラムニスト。

https://twitter.com/anri_mamemame

※記事の内容は公開時点の情報です。在庫状況、価格、売場の商品構成等の情報は変更している場合がございますのでご了承ください。

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