SHORT STORY
シブヤ百色話 第5話『恐ろしい松(後編)』

2024.07.25

東京・渋谷を舞台に繰り広げられる、不思議な物語たち。ちょっとした時間に気分転換できるような、オムニバス形式のショートショートをお届けします。

第5話 恐ろしい松(後編)

前編はこちら

パワハラで訴えられて上司から降格を下された松倉佳代は、にっちもさっちもいかない状況に困り果て、渋谷のスクランブル交差点で立ち往生していた。

 何回目かの青信号を見送った頃、佳代は熱されたアスファルトに立ち上る蜃気楼に、自分の姿を見つける。

 ぎょっとして目を凝らすと、ギャルの自分が幽霊のようにゆらりゆらりと揺れ、こちらをじぃっと恨めしそうに睨んでいる。まるで「どうしてそうなった」と言わんばかりに。

 熱中症で幻が見えているのかもしれない。佳代は手持ちのペットボトルに残った水を飲み干し、目を閉じて深呼吸をしてから、もう一度交差点に目を向けてみた。しかし、ギャルの自分はどこにも消えない。それどころか、力強い歩みでこちらへと向かってくるじゃないか。

「ひぃっ」

 小さく悲鳴を上げて、佳代は後ずさりした。そして恐ろしい顔で迫ってくる最強の自分に恐れをなし、佳代は背中を向けて無我夢中で走って逃げた。しかし道玄坂で人を避けながら走るのはなかなかに難しい。三センチヒールとはいえ、坂を駆けあがると足がもつれ、つりそうになる。

 時々振り返るが、ギャルの自分は怨念のようにしつこい。幽体なんだか蜃気楼なんだかわからないが、人を通り抜けることができるもんだから、なんともずるい。

 ようやくギャルの姿が見えなくなって安堵すると、油断したのか、佳代は女性に体当たりしてしまった。肉と肉がぶつかる鈍い音がして、坂の下方から来た佳代が女性にもたれかかるようにして倒れ込む。

「いっ……、ああ!! 申し訳ありません、本当にごめんなさい!!」

 佳代が急いで起き上がり、女性を背中から抱えるように地面から起こすと、女性は「うーん」と低い唸り声をあげ、眉間に皺を寄せて、迷惑そうに女の顔を覗き込んだ。

「いつつ……ん~……あれ、……カヨ? は? あなた、松倉佳代?」

「え、え、どなたさま……あ、ああ~ユミ?!!」

 女性は高校時代の友人、同じギャル仲間のユミだった。専門学校を卒業してから二十年ぶりの再会だが、学生時代の友人は容赦ない。

「やぁだ、カヨったら、すっごい痛いじゃない!! なに、どうしたの? え、今何してるの??」

 文句を言いながらも、道の中央で座り込んで手を取り合う二人に、道行く人々が怪訝そうな視線を向ける。

 佳代は質問に答えるよりも先に立ち上がり、謝罪の意を込めてお茶に誘った。四十を過ぎて、体力と身体機能の衰えを日々感じている佳代にとって、渋谷砂漠での逃亡劇はこたえるものがあり、早く体を休めたかったのだ。

「ずっと同じアパレルよ。エリアマネージャーになったの」

 席についてレモンが香るお冷で喉を潤してから、佳代はようやく会話を再開させたが、先日の降格は伝えられなかった。

「そうなの、すごいわねぇ。ずっとでしょ? まぁ、うちら話してたもんね。カヨは、就職してから本物のギャルになったって」

「本物? え、うちら高校のときからギャルだったじゃない」

「え、誰が」

 ユミのすっとぼけた顔に、佳代はうっすら不安を覚える。

「え、うちら。ユミと、アタシと、エリコとカナ」

 するとユミが口に含んだアイスティーを盛大に噴き出して、店内に響くような笑い声を上げた。やがて自分の音量にはたと気付いて、周りに何度か頭を下げてから、佳代と向き合う。

「何言ってんの。うちらは、うそっこギャルでしょ? ちょっと、記憶を改ざんしたの?」

「そっちこそ何言ってんの。だって放課後よく渋谷に来てたでしょ?」

「まぁ、通学路だったからね。遊ぶなら定期圏内でしょ」

「スカート短くしてたし、ルーズソックスだって。メイクもしてたし」

「うん、放課後にね。いつもどっかしらのトイレでメイクして、付け爪して、ルーズソックスに履き替えて、あ、そうだ、ウィッグなんかも用意してたね。今思えば、完全にコスプレね」

 うんうんとユミが腕を組んで、懐かしそうな表情を浮かべる。

「そもそも。うちらが意気投合したのって、今でいう陰キャ? だったからじゃん。チャイムが鳴ったら、クラスの皆は部活の子や友達とさっさと教室から出て行く中、いっつもうちらだけポツンと残ってて……それで、誰だっけ、あ、私か、が声かけたの。一緒に帰りませんか~って」

 佳代の中の自画像が途端に古びて、ぼろぼろと崩れていく。

「……なんでギャルの格好したんだっけ」

「確か……カナが、“女子高生になったんだし、やってみたい”って言って、量販店に皆で決死の覚悟で飛び込んだのよ。メイクとかよくわかんなくて、とりあえず皆でお金出し合って、ギャル雑誌を見ながら買ったのかな? だから、四人が揃わないとフルメイクできなかったじゃない」

 そうだ。試行錯誤してメイクをし合い、互いの不器用さを笑い合って、いつまでもメイクが進まなかった。

「ファーストフードによく行ったよね?」

「ギャルといえば、ファーストフード、プリクラ、カラオケっていう貧困なイメージしかなかったから。一通りのことは確かにやったね」

 百円でハンバーガーを買うことができた当時、プリクラは一回三百円で、カラオケは一時間二九十円。たしか千円札一枚あれば、学生は豪遊できた。

「カラオケでオールしたよね?」

「あ~したした。あのとき、なんかナンパされなかった? センター街で。ほら、うちら慣れてないから、怖くなって、近くのカラオケに逃げ込んで。でも男の子たちのナンパスポットが店の目の前で、出るに出られなくて、終電なくなって、そのまま朝までオール。あのときはきつかったなぁ。持ち歌は尽きたし、部屋はタバコ臭いし、未成年だから補導されないか、内心ずっと怯えてたし……。だからか、あのときに見た渋谷の朝焼けは忘れられない。解放感がすごくて。ごみの匂いとか臭くて、カラスもいっぱいいたけど」

「そう……だったね」

「でも、楽しかったよね。ギャルになったのなんて、放課後のたった数時間だけどさ。学校じゃ存在感のない、真面目な私たちでも、なんか無敵になった気分で、ぜんぶ衝動的で。だから、専門学校に入ったとき、カヨがギャルになったのもわかった気がした……」

 そうだ、ユミの話す通り、有限の時間は最高にして最強で、なんだってできた。その時間を無限に手に入れたくて、佳代は生まれ変わった。かつての自分を上書きして、友人と距離を置いてまで、ギャルの強さを渇望したのだ。

 しかし今の佳代は、経験を積んで、話術を得て、思考力を磨き、大人になっていた。もう「ギャル」に頼らずとも自分の行動に意思を反映できる、十分な強さを手に入れていた。ああ、そうか私は大人になってしまったのだ。やっぱり後戻りはできないらしい。

 「ギャル」と聞くと今はむしろ、梅谷の顔が浮かぶ。佳代を弾劾するためのパワハラ報告も、彼女なりの正義感がなせるものだった。ギャルは、声の小さい若者の味方なのだから。梅谷は、かつての佳代のように、理路整然風に語って秩序を保とうとする「大人」に真正面から立ち向かっているときなのだ。大人の気も知らないで。

 「でもさ、今日会ってびっくりした。なんというか、お互い、美しく年を重ねたねぇ」

 ユミの言葉にハッと正気を取り戻して、佳代は慌てて目を逸らした。偽りの強さでのし上がり、恐れられて、それでも「生涯現役守」にすがって足掻いて、そんな私が美しく見えているわけないじゃないか。

「私、実は、降格して……。結婚してもないのに、キャリアダウンして、スタッフ、部下にも怖がられて……この先、不安しかないよ」

 謙遜するつもりが、思わず弱音を漏らし、涙を滲ませた。するとユミが「なんだ」とあっけらかんと返してきた。

「そんなの、結婚していても、子供を産んでも、同じ不安を抱えるわよ。そりゃぁ今から社長を目指せとかムリよ。でも、神様、自分だけ将来の不安をなくしてください、なぁんて都合の良い願掛けするくらいなら、今手に持ってるものできちんと勝負しなさいな。四十にもなって中途半端にあたふたしてたら、みっともないよ!」

 大人なユミが、先日梅谷を説得しようとした自分と重なる。ああ、とんだブーメランだ。

「今度、四人で会おう。みんな、会いたがってるよ」

「うん、……ありがとう」

 ユミと連絡先を交換して別れた佳代は、またスクランブル交差点を眺め、かつてそこに鎮座していた松に思いを馳せる。

 憩いの松。恐ろしい松。ご神木の松。どの松も、同じ松だ。

「……あなたも自分を守るのに必死だったんだよね」

 するとスマホが振動し、「課長」と画面に表示させた。

「お疲れ様です、松倉です」

「ああ、松ちゃん? 今いい? 実はさ、梅谷さんのことなんだけど」

「はい」

「この前泣きながら本社に電話かけてきて。もう一度、松ちゃんの元で勉強し直したいって。どう? 二人で、渋谷店で仕事できそう?」

「え、どうして」

「ん~……新しい環境で、色々気付いたんじゃない? 梅谷さんも大人になったんだよ」

 ギャル梅谷も、奮闘しているようだ。

「わかりました。大丈夫ですよ」

「そっか、ありがとう。あと大事なことを言い忘れたんだけど、渋谷店は半年だけだから。そこで現場とじっくり向き合ってもらった後、松ちゃんには人事部に行って、研修担当として新人や新エリアマネージャーをみっちり鍛えてほしい。もしかしたら描いていたキャリアと違うかもしれないけれど、松ちゃんのキャリアは会社の資産だと思っているから、それをフル活用したいんだ」

 課長は「電話でごめんね」と一言添えた。

「あ、ありがとうございます。……がんばります」

 佳代は誰もいない空間に向かって何度もお辞儀をしてから、電話を切った。そして自分の足に合った三センチのヒールと共に軽い足取りで、地下鉄へ続く階段を下りて行く。一歩一歩踏み出すたび、佳代のトートバッグにつけられた「生涯現役守」はご機嫌に揺れていた。

教えてくれた人

豆ばやし杏梨

フリーのコラムニスト。

https://twitter.com/anri_mamemame

※記事の内容は公開時点の情報です。在庫状況、価格、売場の商品構成等の情報は変更している場合がございますのでご了承ください。

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