お茶にまつわるエトセトラ(1)
結婚式当日に提供する飲み物として、あるいは、引出物として、たびたび議論されるのが「お茶」はマルかバツかという問題です。
いわゆる「緑茶」のことで、例えば「桜湯」「昆布茶」「葛湯」はそれに含まれません。また「紅茶」「コーヒー」「烏龍茶」最近では「ハーブティー」が披露宴のコースのデザートに合わせて提供されることがありますが、いずれもそれらの議論に上がることはありません。煎茶、番茶、ほうじ茶がグレーゾーン。抹茶は別枠で、抹茶を点てるのはパフォーマンスも含めてウエディングの「推し」の演出としている式場もあります。
いわゆる「縁起」については、伝統的、慣習的なものに加えて、本人やもらった人が「どう感じるか」が大事で、多くの場合それが優先されるので、もし「根拠がないからいいのだ!」と言い張ったとしても、覆ることはめったにないと思います。そうして積み重ねられて、また伝統、慣習としてのイメージを強めていくのかもしれません。
だから「本当のこと」を追求するかどうかより「もらった人がどう思うか」「それでも贈りたい強い気持ちの真意」などにしっかり向き合うことのほうがずっと大事だということになると思います。

そもそも、なぜお茶が「縁起がわるいようなもの」になったかについて、一応検証しておきたいと思います。
私が聞いたところでは大きく分けて2つの説があり、1つは「茶」という言葉にまつわるイメージのこと。「茶化す」「お茶を濁す」「茶々を入れる」などいずれも「邪」を感じるものであるということ。
もう1つ(こちらの説がメイン)ですが、香典返しなど不祝儀のイメージあるということ。香典返しの定番になった理由も諸説あり(価格的にもちょうどよく、万人受けする、日持ちする、軽いなど都合が良かったということがあるようです)もはや本当のところはよくわかりませんが、実際、仏教とお茶には深い関わりがあり、お寺でお茶が栽培されていたというような歴史もあるそうです。仏教=弔事というイメージもどこからか湧いて出ているところがあり、そういう総合的な理由で、結婚式(慶事)では、お茶が選ばれなくなっているということがあるようです。

しかし、そうして慣習にとらわれずに広く見渡していくと「お茶」を慶事に積極的に選んでいるところがあることもわかります。結婚式や結納などの「家」の行事には地域性が色濃く表れます。
例えば、全土というわけではありませんが、九州ではお茶を「御知家(おちゃ)」と書いて、結納品の一つとするお家が多いようです。この場合多くは「番茶」で、「番茶は一度しか出ない」「茶の木の芽は摘んでもまた芽が出る(芽出たい)」などを理由とされているのだとか。
同じく九州地方では結納のあと「お茶開き」「お茶見せ」と呼ばれる伝統があり、親族や地域がバックアップして継承されているお家もあります。
ほか、地域の高級品として「宇治茶(京都)」「八女茶(福岡)」「知覧茶(鹿児島)」などを引出物(記念品+引菓子にプラスする縁起物)に選ぶお家もあります。
要するにお茶について「こうでなければ!」という決まりはありませんが、さまざまな価値観を自由に発信できる社会ですから、せっかく選ぶのであれば、プラスアルファとしてパッケージのデザインを重視したり、デパートの熨斗をつけるなど「いろんな意見はわかっているけど、あえて選んだのですよ」とわかるような工夫があると、もらった人をさらに安心させるのではないかと思います。