手紙を書こう(5)ラブレター
私は昔、文通少女でした。
インターネットやメールのない時代には、ほとんどの人が交換日記とか文通とかを経験していると思いますが、私はとくに多いほうだったと思います。
趣味のための情報交換がおもでしたが、高校時代には40〜50人と手紙のやりとりをしていました。辞書やマナーの本を傍に積み上げて、1日中手紙を書いていた遠い日々を懐かしく思います。
インターネットにのめり込み、自分で手紙を書くことなどほとんどありませんが、
結婚式とその周辺には今も手紙の文化があり、その特別な意味合いを強く感じています。

「花嫁の手紙」を手伝うことが多くあります。
書籍やインターネットメディアの記事のためにこれまで「例文」をいくつも書いてきましたが、実際のそれはさらに、とても大変なものです。この機会でなければ、この先に伝えることができるだろうかという内容になることもあり、家族の歴史や人生を背負った手紙とも言えます。
例文に添ってカスタマイズされたお手紙をまず読んでみて「ここをもっと具体的に書いてみたら?」とか「この時どう思ったの?」など掘り下げていくこともありますし、披露宴の中で読むものというのを意識して、言い回しや長さを調整することもあります。ちょっとした確認のつもりが、花嫁も担当のプランナー(私)も予想しなかったような、壮大な添削と人生の振り返り作業になる場合もあります。
恨み節を綴ったお母さんへの手紙を1ヶ月かけて一緒に書き直して、花嫁の心も母娘の関係も良好に一転してしまったことを目の当たりにした時の感動と衝撃の余韻は、10年以上経った今もまだ醒めません。
思い合っているのにもつれてしまった糸を、花嫁自身が解いたということです。

ラブレターの代筆をしたこともあります。
代筆と言うのは正しくありませんが「あなたが言いたいのはこういうことでしょう?」と書いてみせて、それをもとに本人が手紙なりメールなりに直して送るということを何度かしたことがあります。
淡白だったり熱すぎたり、不器用に表現された純粋な思いに触れ、どうにかして伝わってほしいと思いました。
「私が言いたいのは、これだった」と言って涙してくれる人を目の前にするたび、嬉しいような、また逆に、他人が関与してよかったのだろうかという迷いが混ざり、なんとも言えない気持ちになるのでした。
時を経て、就活中の学生の「志望動機」や、さまざまなスピーチの原稿にも(一応、求められて)口や手を出す機会が増えました。
懲りずに今も、出したほうがいいのか、出さないほうがいいのか、を繰り返しています。