ピエール・モレはムルソーの造り手ですが、一族がムルソーにやってきたのはフランス革命まっただ中の1793年のこと。モレと名のつく他のドメ ーヌ同様、もともとはシャサーニュ・モンラッシェの出身です。ピエール・モレはルフレーヴの醸造長に就いてから20年後の2008年、ドメーヌ・ピエール・モレとモレ・ブランの仕事に集中するためルフレーヴから離れ、娘の アンヌを共同経営者に迎えて、父娘で11haの畑を耕作。同時にモレ・ブランを経営しています。ルフレーヴがそうであるように、ドメーヌ・ピエール・モレでも畑をビオロジックやビオディナミで栽培し、1997年にはすべての畑をビオディナミ農法に転換しました。アペラシオンはドメーヌもネゴスもムルソーを中心にコート・ド・ボーヌと白と赤に集中しています。 ムルソーの北部、ヴォルネイ1級サントノの近くにあるクリマです。村名ムルソーですが、ドメーヌではピノ・ノワールを植えています。粘土質の土壌は深く、小石は少ないところ。したがって、色が濃く、ストラクチャーがあり、力強いタンニンをもつ赤ワインが生み出されます。