ジョルジュ・ミュニュレが長い闘病の末、1988年に逝去した後、ディジョンで薬剤師をしていた娘のマリー・クリスティーヌがドメーヌに戻り、続いて大学で醸造学を学んでいたマリー・アンドレが加わりました。現在、マリー・クリスティーヌがおもに栽培を、マリー・アンドレがおもに醸造を担当しています。所有する畑はジュヴレ・シャンベルタン、シャンボール・ミュジニー、ヴージョ、ヴォーヌ・ロマネ、ニュイ・サン・ジョルジュと広範囲におよび、今でも旧ミュニュレ・ジブールの畑はファブリス・ヴィゴやパスカル・ミュニュレなど優秀な小作人に折半耕作の形で貸し出されています。またフレデリック・エスモナンのアンドレ・エスモナンの話では、特級リュショット・シャンベルタンの畑はヴォーヌ・ロマネから遠いため、彼らが代わって栽培作業をしているそうです。ニュイ・サン・ジョルジュ レ・ヴィニュロンドはシェニョの下に位置する、石ころだらけのクリマです。チェリーやカシス、赤スグリなどの果実香に甘草のようなスパイシーさがあります。繊細な果実味とともに、キメ細かくシルキーなタンニンも。シェニョよりもデリケートなスタイルです。線は細く、余韻は長いワインです。