ちょんぴー

仕事と育児の両立のポイントは《ゆる家事!ゆる育児!》イヤイヤ期真っ盛りな娘の子育てに奮闘するワーママです。娘と共に、ママも日々成長中。

2022.10.30

コロナ禍で夫の出産立ち会いNGに!予定日超過のため孤独な入院〜出産までの記録☆

Diary

みなさま、こんにちは。ちょんぴーです。
10月に入って、気持ちのいい季節になりましたね。
新型コロナウイルスの感染者数も減ってきて、やっとお出かけが少し許される雰囲気になってきたような気がします。

さて、私が出産したのは、新型コロナウイルスが流行し始めた2020年6月。
初の緊急事態宣言が出された2ヶ月後でした。

この頃は、多くの病院が出産時の立ち会い禁止に。
私も主人に立ち会ってもらう予定でしたが、急遽一人で出産することになりました。

それまで何のトラブルもないマタニティ生活でしたが、最後の最後に大きな壁が立ちはだかった気分に…!
今回は、コロナ禍での一人出産エピソードをお伝えします!

■予定日まで
出産を迎えるまで、幸いつわりもほぼなく、妊娠中のトラブルも特になし。2020年の5月頭から産休入りしていたため、出産1ヶ月半前からは毎日自由気ままに過ごしていました。

新型コロナウイルスの正体も未知の部分が多かった当時は、妊婦の不要不急の外出は絶対NG。それでも病院からは『適度に運動はしたほうがいい』と言われていたため、人混みを避けるように公園などを散歩していました。

そしてあれよあれよと予定日前日に。
検診では、子宮口が開く気配が全くなかったため、翌週の入院が決定しました。

まさかその時は、この後何が待ち受けているとも知らず、人生初の入院生活をちょっと楽しみにしていたくらいです。

■初日
・14時 病院到着
不安とワクワク半々で迎えた入院当日。14時頃病院に到着しました。
とはいえ、病院の入口まで見送ってくれた主人曰く、
『一度もこちらを振り返らず、とても楽しそうだった』
とのことです(笑)

・15時半 バルーンを入れる
部屋などを一通り案内された後、さっそく処置室に移動。子宮口を広げるためのバルーンを入れました。私の場合は細い棒状のものを使用。たしか10数本ほど入れたかと思います。
先生曰く、これに水を吸わせるとどんどん膨らんでいき、子宮口が広げられるのだそうです。
経験された方はお分かりかと思いますが、最初の数本を入れる際は余裕があったものの、最後の方はなんとも言い難い苦痛がありました…。

その日はそのまま部屋で就寝。下半身に違和感はありましたが、特に気にせず一晩過ごしました。

■2日目
・朝一番にLDRに移動
LDRはLabor(陣痛)、Delivery(分娩)、Recovery(回復)を略した言葉で、陣痛〜分娩〜回復までの一連の流れを行う部屋のことです。
陣痛〜分娩まで移動する必要がないため、身体の負担が軽かったり、LDRが個室になっているため周囲を気にする必要がなかったり、家族も一緒にお産に臨める、などのメリットがあるそうです。

病院によるかと思いますが、私の出産した病院のLDRには、お風呂やトイレ、ソファー、横になれるようなスペースもありました。

想像以上に広いスペースだったので、LDRに来て一人ぽつん。入院後、初めて主人がいないことを心細く感じたのを覚えています。

・9時 前日に入れたバルーンを抜く
LDRの分娩台で前日に入れたバルーンを抜きました。
入れる時も痛かったですが、抜く時もまた痛かった…。足先に力が入ってしまい、終わった時は汗と涙がにじんでいました…。

・9時半 点滴で誘発剤をいれる
バルーンを使用してお産が進む場合があると聞いていましたが、私の場合は全く進まず。そして、子どもの心拍を確認しながら、点滴で誘発剤を入れ始めました。

・11時ごろ 陣痛が始まる
この頃には2、3分に1回のペースで陣痛らしきものが来ていたのですが、そこまで痛みもなく、『陣痛ってこんなもの?このまま出産できるの?』と甘い考えを持つほどの余裕っぷり。ただただ時間が過ぎるのを待つ感じで、携帯で映画を観ていたほどです。

・13時ごろ 陣痛が少しずつ強くなる
13時前になると、さすがに少しずつ痛くなり、13時を過ぎると痛さで横になっているのが苦痛になってきました。
陣痛は人それぞれ感じた方は違うようですが、私は痛さというよりも「いきみたいのにいきんではいけない」という状況が、身体的にも精神的にもきつかったです。

子宮口がしっかり開く前にいきんでしまうと、お腹の子が苦しくなると聞いていたので、数回に一回耐えられずに思わずいきんでしまっては、「お腹の子に申し訳ない」という気持ちでいっぱいになっていました。

この頃になるとさすがに携帯を見る余裕もなくなり、定期的に訪れる陣痛の波をどう乗り越えるか、分娩台の傾斜の角度や自分の体勢を微調整し続けていたと思います。(分娩台は、腰付近の角度がボタンで変えられる仕組みのものでした。)

助産師さんは定期的に見に来てくれましたが、基本は自分ひとりでこの痛みの波を幾度となく乗り越えなければなりません。
助産師さんが来てもらえた時は、テニスボールで腰を押してもらうなどの対応をしてもらえましたが、一人の時間は、先輩ママから伝授された『遠くの一点を見つめて、ふーっと長く息を吐く』ということをひたすら続けていました。

夕方頃からはいよいよ痛みがしんどくなってきたのですが、やはりお産は進まず…。10分に1回という痛みのペースをキープし、また一晩過ごしました。

・夜中
この頃になると、横になるのも耐えられず、部屋にあったソファーに座り、陣痛がくるたびにソファーから立って近くのトイレまでゆっくり歩き、戻ってくるというルーティンを自ら考案。この動作をひたすら繰り返していました。(陣痛の痛みは1分程度ずつ続いたので、ソファーからトイレまでゆっくり往復するとちょうど陣痛がおさまるタイミングだったのです。)

そうして一睡もできないまま、時計とにらめっこして数時間が経過・・・。

空が明るくなっていくのを病室の窓から見て、
『朝が来るのをこんなに待ち望んだことはない』
と心から思いました。今思い出しても、辛い時間だったなと思います。

■3日目
・9時頃 
とうとう入院から3日が経ってしまいました。痛みに耐えながら辛い夜を一人で越え、待望の子宮口の開き具合を測ってもらう時間です。 
そこで言われたのが、衝撃的な言葉!!

『子宮口、4.5cmです』 (※全開は10cm)

(え……!!!!!)

一晩中陣痛に耐え続けたのに、前日から1cmしか開いていないと聞いた時、本当にそのまま気絶するかと思いました(涙)

『もう帝王切開にしてください』という言葉が何度も喉まで出かかりましたがなんとか飲み込んだ私・・・。このあと投入することになった陣痛促進剤に全てを託す気持ちでいました。

・10時頃 促進剤を投入
正直、このあたりは痛みと寝不足で記憶が定かではありません!
更に強くなる陣痛に耐えられず、部屋の中にあった椅子にしゃがみ込んでいたおぼろげな記憶が蘇ります。

そこからどれくらい経った頃だったのか、助産師さんからついに
『そろそろ大丈夫そうだから分娩台に乗りましょう』
と、待ちに待ったお言葉。

やっと躊躇なくいきむことができるのが、何より嬉しかったです。
私はいきむのは比較的上手かったようで、ここからは早かったです。
助産師さんの声に合わせて、下半身に力を入れて、を繰り返すこと数回。

14時50分頃 待ちに待った娘が誕生しました。

娘を初めて抱いた時は感動よりも疲労が勝っていて、『やっと終わった!』というのが正直な感想でした…(笑)

(この時の写真を見ると、眉毛がハの字になっていて、今見ても疲労感が伝わってきます。笑)

その後、娘の身体測定などを終えて改めて抱っこさせてもらった時、やっと落ち着いて娘の誕生の喜びを噛み締めることができました。


振り返ってみると、やはり一人きりの初めての出産は、孤独で辛かったです。
ただ、もし主人がいてくれたとしても、あの痛みを取り去ることはできないはず!?
逆に、『自分でなんとかするしかない!』と覚悟を決められたのは、良かったのではないかなと、今では前向きに考えています!

まだまだコロナの影響で、立ち合いNGの病院も多いと聞いています。
一人での出産が心細いと思っている方、私の経験談をここまでお読みいただいたならきっと大丈夫!?
たくさんの妊婦さんが同じ状況で頑張っていることを思い出しながら、ぜひ前向きに乗り越えてくださいね!

以上、ちょんぴーの出産レポートでした。




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