クレ

2人の娘を持つママです。女子は口が達者!あーでもない、こーでもないと、まさに騒がしい毎日。でも、小学校での話を一生懸命する子どもたちをかわいいなと思ったり。もっと女子トークができる日が来るのが楽しみです☆

2018.12.16

切迫早産…みんなの支えで乗り切れた!

Diary

こんにちは!クレです。

寒くなってきましたね~。
今年は9月にインフルエンザが出だして、もはやいつ予防接種を打ったらいいんだかわからなくなっております(汗)
インフルエンザになるほど寒くないと思うけど、寒さとインフルエンザは関係ないの?
…なんて頭を悩ませている今日このごろです。

ところで、昨年は雪がたくさん降りましたよね。
私が次女を妊娠中のころも大雪の冬でした。
そう…その冬を思い出すと、次女妊娠中の大変だったことを思い出すのです…。

雪が降ったのは1月半ば。
マンションの通路にも雪が積もり、通路の脇に雪をよせたかったのだけど、夫に頼んでもなかなか動いてくれず、大した量じゃないからもう自分でやってしまえ!と、長女と雪掻きしちゃいました。


そのときは、安定期とはいえ妊娠中。
その後2月の定期検診に行ったとき、「子宮頸管長がちょっと短い」、「切迫早産の手前だから自宅安静」と言われてしまいました。
安静の度合いもいろいろあるけど、「トイレとお風呂以外は寝ているように」という、かなりの重度。
子どもが1人いるので、そんなこと言われてもムリ…。
ごはんは作らないと…・
でも、動きすぎれば、お腹の子がどんどん下がってきてしまう可能性があるので、トイレ、お風呂、ごはんを作る以外は本当に布団に横になっていました。

そのころ長女は1歳8ヶ月ぐらい。
それまではお外や支援センターに行って遊ばせていたのに、急に家に缶詰状態に…。
お外でお友だちと関わり始め、それが楽しく思えてきていた時期だと思うので、お外に連れてってあげられないことがとてもつらかったのを覚えています。
家でもずっと横になっているので、できることは、絵本読んであげたり、一緒にカード遊びしたり、横になったままボールの投げ合いっこしたり…と、そのくらい…。

少しでも気分転換にと思い、平日唯一外に出るのが、パンの移動販売でパンを買うときだけ。
マンションの下に毎週木曜に来る移動販売のパン屋さん。音楽が聞こえてきたら、パンを買いにマンションの下へ。
パンを購入し、エレベーターで自宅の階まで上がり、外出は終了。
購入したパンは、その日のお昼ごはん。
ほんの数分だけど、長女はとても嬉しそうだったな。

今思えば、ほんの少しだけど「娘を外に連れ出してあげられる」ということが私にとっても気休めになって、何週間もの自宅安静を乗り切れた一つの心のお薬だったかも。

しかし、その努力もむなしく、妊娠32週ごろついに入院することに…。
丸1ヶ月の入院生活、つらかったのはやはり、長女と一緒にいられないこと。
しかもよりによって、当時の夫の仕事は激務。
平日はワンオペ育児で、娘はパパと2人で過ごす時間はそれまでほぼなかったし、夫も育児はもちろん、家事すらほとんどできなかった…。
いろいろ不安だらけ…。
でも、お医者さんが「入院」と言ったら即入院。
夫には、10日ほど有給を取ってもらい、GWの時期だったので祝日と合わせてなんとかトータル3週間程度の長期休暇に。あとは、遠方から両方の母に時間差で来てもらい、なんとか1ヶ月をつなぎました。

夫が毎日のように娘を連れて病院に面会に来てくれ、娘が私とできるだけ会えるようにがんばってくれたのには感謝。
私ができることは、会ったときに娘をギュッと抱きしめることだけ。
メンタルが折れるときは何回もあったけど、
「この状況がずっと続くわけじゃない。正産期までしっかりお腹にとどめて、元気な赤ちゃんを産むことが一番大事!」と自分にいい聞かせ、なんとか乗り切りましたよ。

入院中と聞いて、友人たちもお見舞いに来てくれ、おしゃべりに付き合ってくれたことも、私にとって非常に大きな心の支えになりました。

無事に元気な次女が生まれたのは、旦那や長女、周りのみんなのおかげ!!

切迫早産は、ならないならならないほうが絶対にいいので、周りにいる現在妊婦の友達にも、「ムリしないように」とよく言ってしまいます。
そして、切迫でなくても、妊娠中に困ったことやつらいことがあったら、声をあげて周りに頼ればいいと思いますよ!
きっと周りは喜んで助けてくれるし、自分が思っているよりも楽に問題が解決できると思います☆

妊娠中に支えてくれたみんなに改めて感謝をしつつ、無事に生まれてきてくれた娘たちにも今日は優しく接したいと思いま~す(笑)